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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1951号 判決 1957年4月09日

控訴人 被告 佐藤はる 外四名

訴訟代理人 植木植次

被控訴人 原告 小林マキ

訴訟代理人 村田善一郎

主文

本件は控訴人らの昭和三一年一〇月二五日附書面による控訴の取下によつて終了した。

昭和三一年一二月六日附書面を以てなした控訴人らの口頭弁論期日指定申立以後の訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、本件につき口頭弁論期日の指定を求めると申し立て、その事由として次のとおり述べた。

一、本件につき昭和三一年一〇月二五日附で控訴人ら名義の控訴取下書が提出されているが、右書面提出のいきさつは次のとおりである。

二、控訴人らはいずれも本件係争家屋の転借人であるが、本件控訴提起後の昭和三一年九月末頃被控訴人がその内縁の夫深谷正と共に控訴人らを呼び寄せ、「控訴人らは訴訟事件とは全く関係がない。被控訴人の方では志村吉国(相控訴人で係争家屋の賃借人)とだけ争つているので、控訴人らは単に間借人に過ぎないのだから控訴の方は取り下げて貰いたい。被控訴人の方では今までより安い家賃で従前どおり控訴人らに貸すから。」と巧みに控訴の取下(控訴人らはこの言葉の意味を知らなかつた。)をすすめたので、控訴人らも「自分らは家を借りられさえすればよいのであり、考えて見れば別に訴訟事件とは関係なく、志村と被控訴人との争なのだから」と誤信し、その結果求めによつて各自の印章を渡したところ、深谷は書面の内容、効果等を控訴人らに告げることなく、控訴取下書を作成し、当裁判所に提出したものである。

三、以上の如く控訴人らは深谷の作成、提出した右書面が控訴取下書であることを全く知らなかつたものであるから、右書面による控訴取下は控訴人らの真実の意思によらないものというべきであつて無効のものであり、仮りに無効でないとしても本件控訴取下の意思表示は右の如く被控訴人らの詐欺によるものであるからその取消の意思表示をした。

四、よつて本件は当庁に係属中のものであり、ここに口頭弁論期日の指定を求める次第である。

かように述べ、証拠として、当審における証人深谷正の証言、控訴本人佐藤はる、桑原嘉平、名川照雄の各尋問の結果を援用した。

被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その事由として、控訴人らは本件につき昭和三一年一〇月二五日附書面を以て、適法な控訴の取下をしたものである、と述べた。

当裁判所は、弁論及び審理を控訴人らの控訴取下により本件がすでに終了したか否かの点に制限した。

理由

よつて、本件記録を調査するに、原審裁判所において本件につき、昭和三一年八月一日控訴人らに係争家屋中各自の占有部分を被控訴人に対し明け渡すべきこと等を命ずる旨の判決の言渡がなされ、その判決正本が同年九月五日控訴人らに送達せられたところ、控訴人らは右判決に対する控訴のため訴訟代理人の選任をなし、右代理人によつて同年九月一八日控訴状が当裁判所に提出されたのであるが、その後同年一〇月二五日附を以て控訴人ら名義の本件控訴を取り下げる旨記載した「控訴取下書」が当裁判所に提出された事実が認められる。

そこで右取下書提出の経過に関して審究するに、当審証人深谷正の証言に控訴本人佐藤はる、桑原嘉平、名川照雄の当審における供述の各一部を綜合すれば、かねて控訴人らは、被控訴人に対し、相控訴人たる志村吉国との関係をはつきりしてくれれば自己占有家屋部分についての賃料を被控訴人に支払う旨申し出ていた次第もあつて、本件控訴提起後なる昭和三一年一〇月二四日被控訴人の意を受けた深谷正から控訴人らに対し(直接または控訴人の代人を通じ)、以後の賃料を直接被控訴人に支払つてくれるなら、被控訴人は控訴人らにその居住、使用している部分を賃貸するのであるから、今後の賃料を被控訴人に支払われたく、そうすれば控訴人らと被控訴人との争は解決されることになるので控訴して争う必要もなくなるわけだから、控訴人らの控訴を取り下げて貰いたいと申し込んだところ、控訴人らも現住家屋部分をそのまま貸してくれるということなので右申出を承諾し、翌二五日控訴人らの同意と、その直接または代人を介しての関与のもとに前記控訴取下書が作成され、当裁判所に提出されたのであるが、控訴人らは控訴取下書の作成、提出にあたり単に被控訴人との争をやめ、そのまま居住家屋部分を被控訴人から貸して貰えることになるという程度の認識をもつていただけで、控訴取下の法律的効果についてはそれ以上詳しく知るところがなかつた(なお、同年一〇月末被控訴人側から賃料の取立に赴いたところ、控訴人らは前記の約定に反しその支払をしなかつた。)という関係にあることが認められ、この認定とそごするが如き前記各本人の供述部分は当裁判所の信用し難いところである。

以上によれば、本件控訴取下書は結局控訴人らの自由なる意思決定に基いて作成、提出されたものであることは動かせない。ところで訴訟行為は同時に私法上の行為たることもあるので、訴訟行為一般について言及することはともかく、少くとも控訴取下の如き、訴訟上において裁判所に対してなされ(訴訟外で当事者間になされる管轄の合意の如きと異る。)、しかも訴訟の終了という訴訟法的効果のみを目的とする(裁判上の和解の如きと異る。)、訴訟行為については、その効果の画一による訴訟手続の安定の要請から、表示外観によつてその効果は確定せらるべきであり、従つて錯誤、詐欺の如き外部から容易に知ることのできない行為者の意思のかしを理由としてその行為の無効、取消を主張することは許されぬものと解すべきである。控訴人らの主張はすでにこの点で失当であつて採用できないのみならず、仮りに、控訴の取下について錯誤、詐欺の主張が許されるとしても、控訴人らの主張は次の理由によつて結局採用できない。すなわち、控訴取下という訴訟行為の性質上その錯誤、詐欺というが如きは少くとも厳格に解すべきであつて、本件については、控訴人らは前記の如くさきに訴訟代理人を選任して控訴を提起していたのであるから、控訴の取下がこの控訴をなくするという認識をもつていたことは疑うべくもなく、然らばこれによつて生ずる訴訟法的効果は知らずとも、社会的に控訴取下の本体的意味とされるものについての認識はあつたことになるから、控訴人らに錯誤はなかつたものというべきであり、また、本件において、被控訴人側に控訴人らをして控訴取下の意思表示をなさしめるにつき欺罔行為のあつたこと(たとえば賃貸の意思がないのに賃貸すると申し向けて控訴の取下をさせたという如き。)は全然認められず、前記認定によればかかる事実の存しなかつたことがあらわれているのである。

然らば、右いずれの点からしても控訴人らが本件控訴取下は効力なきものとして口頭弁論期日の指定を求めたのは失当というべきであるから、ここに本件は控訴人らの控訴の取下によつて終了した旨の終局判決をなすべきものとし、控訴人らの期日指定申立以後に生じた訴訟費用につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判長判事 大江保直 判事 猪俣幸一 判事 古原勇雄)

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